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6件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1952-07-07 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第59号

即ち昭和二十五年におきまして都区調整協議会というものを設けたのであります。そうして都側から知事、副知事初め各派の議員が合計五名委員として出たのであります。それから区側からは区長、それから区会議員、二十三区側代表として五名出しておる。なおそのほかに公平な立場で仲裁をする中立委員というものが四名いたのであります。

岡本愛祐

1952-06-18 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第55号

そこで一昨年都区調整協議会というものが作られまして、私どももその委員になつて中立委員になつて、その調停に尽力したのであります。勿論そのときにおきまして地方自治法にきめられている特別区の性質を変えようというようなことは都側も意図していなかつたのであります。即ち都側におきましても憲法上の地方公共団体で区があるという前提の下にこの協議が進められたのであります。

岡本愛祐

1952-06-13 第13回国会 参議院 地方行政委員会 第51号

政府委員鈴木俊一君) 只今都区調整のために設けられました岡本さんなど委員になつておられました都区調整協議会の審議の結果、都から区に委譲することを適当と認められました事務につきましては、これは地方行政調査委員会議におきましても、絶えず経緯、結論というものを十分審議いたしまして、委譲につきましての勧告案を用意したわけでございまして、私どもといたしましては都区調整協議会結論並びに地方行政調査委員会議

鈴木俊一

1951-10-25 第12回国会 衆議院 地方行政委員会 第3号

神戸政府委員 まことにごもつともなお説でありましてわれわれといたしましても十分その点を考慮いたしまして、これまではこの区の仕事と都の仕事との限界がはつきり上ないために、都区調整協議会というものを設けて、都の代表と区の代表と、中立の方と御一緒にして、そしてこれを都にする、これを区にするときめたのでありますが、それさえもいろいろな支障があつてなかなかできないといつたことで、行き詰まつているということを

神戸正雄

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